以前、こちらのエントリで、『家族帯同のすゝめ』と言う諭吉先生の様な事を偉そうに書いた。
こちらについては、ごく一部の帯同家族の中で共感を得た様で、調子に乗って第2弾を書いてみる、と言うのが今日の趣旨だ。
と言いつつ、前回の様にダラダラと色々な項目を書いて行っても仕方がないので、今回は一点突破『家族とのつながり』について書いてみる。
日本は残念な状況
昨今、日本の特に都市部においては、家族内のつながりが非常に薄くなっている、と言われている。
それに伴って、なのかどうかは知らないが、横のつながりと言う意味で、ご近所付き合いの様なものも減って来ていると思う。
当方は、日本では150世帯くらいある、そこそこの規模のマンションに住んでいたのだが、当然色々な人がいるワケでそれは理解してるんだけど、エレベーターなり廊下なりですれ違った時に挨拶しない(と言うか当方はするのでそれをシカトする)輩までいる事には軽くショックを覚えた。
当方は、精神的に非常に幼稚であると言う優れた特性を持っている為、そう言う時は聞こえてなかったものと解釈してもう一回挨拶を繰り返す事にしていたのだが、だいたい、2回目で嫌そうに
うっす
みたいな感じで返して来るのだが、うっすじゃねーだろてめぇとか思いつつとりあえずそれで終わりにしていた。ひょっとしたら、対人恐怖症、的な話があるかもしれないからね。
日本で起きている事象の背景を考えてみる
そんな嘆かわしい状況である日本だが、そもそもなんでそんなんなっちゃったの?と言う点を考えると、色々な背景があると感じている。
まず、インターネットの発達。
我々が子供の頃、家の中でのコミュニケーションの場、並びに情報収集源はダイニングだったはずだ。
ところが、今はスマホをチコチコいじれば即座にグーグル先生が答えを教えてくれるし、友達とも繋がる事が出来る。
ダイニングでみんなでテレビを見ながら議論して情報収集する時代は終わった、と言う考え方だ。
次に生活の全てが便利になって来た事。
ちょっと前まで、オヤジが狩り(給料貰う)をして来て、オカンが料理を作って、子供も手伝える所は手伝って(場合によっては貴重な労働力)、家族一体となったサバイバルを繰り広げる絵面が広がっていたはずだ。
ところが、今は徐々にではあるが、オカンも狩りを出来る環境が整いつつあり、子供は子供で電子レンジさえ使えれば、簡単に一人で美味いメシが食える様になった。
そこにあるのは『個』のパワーアップであり、テクノロジーと社会環境のレベルアップが背後にある。
既に、そうだそうだ、と言う拍手喝采が聞こえて来ている様な錯覚に陥っているが、これらの要因が複合的に絡み合い、家族の中でもそれぞれの個がそれぞれの方向に向かって行動するので、全体的に、集団における『個』同士の繋がりが薄くなるケースが出て来ている、と考えている。
だって、個でも生きていけるもん、って感じなのだ。
その典型なのが、レストランとかで良く見る、オヤジもオカンもスマホをいじっていて、子供はDSをしている、と言う光景。
それも一つの家族の形なんだ、と言われればそれまでだが、何それ、と思ってしまう。
チェンナイでは家族が輝きを取り戻す!
ここまでが超長い前段。漸くインドの話に入る。一点突破とか言ったクセになげーよ と言うご意見はそっと胸にしまっておいて頂きたいのだ。いつも通りやけん。
日本の、特に都心部で崩壊寸前の『家族』と言う単位。
それがチェンナイに来ると、何故か輝きを取り戻す事になる。
事実、チェンナイに家族で来て良かった、と言う人たちがとても多いと感じている。
一部、うまく行かない家も当然あるにはあるが、世の中に絶対はないので已む無し。
その点を差し引いても、確率的にはかなりのファミリーが成功していると感じており、これにもいくつかの複合的要因があると考えており、それを書いてみる。
強制的に昭和的家族スタイルに戻される
日本で主流になりつつある『共働き』がチェンナイでは基本的に選択出来ない。
何組か見た事はあるが、かなりの少数派であり、大体のケースにおいて奥さんはShowa styleに戻る。
これは本人たちの意思もクソもなく、チェンナイに赴任になる旦那に帯同しまぁす♡と言った瞬間強制的に執行される。
従って、オカンが個に走る機会は日本対比では必然的に減り、ベクトルが家族に向けられる機会が増えるのだ。
オヤジも早く帰って来る
チェンナイは笑えるくらい娯楽がない。
娯楽がなくて笑える、その笑ってしまっている現象こそが娯楽なのではないか?と新たな哲学を生み出してしまいそうになるくらい何もない。
カラオケ?ボーリング?何それ?って感じなのだ。
※秋平と言うラーメン屋ではカラオケ出来るし、1レーンだけのボーリング場もあるにはある。
ゴルフにしたって、こちらのエントリの様にクソみたいなゴルフ場しかないし、ゴルフクラブの使い道はロックアウトされてしまった鍵の破壊となってしまう。
よって、仕事が終わった後のオヤジの行き先は、圧倒的に『自宅』がマジョリティを持つ事になる。
オヤジが早く帰ってオカンがいたら当然コミュニケーションは増える(はず)
家に帰って何をするのか?は個々人で差はあるだろうが、多くの場合、お互いが日中にためたストレスを放出し合う地獄絵図が構成される。
ちょっと聞いてよ今日学校でね・・・
またアホの部下がやらかしやがって・・・
この手の罵詈雑言が、まるでスカッシュの様に、四方八方から鼓膜に襲い掛かって来るのだ。
ちなみに我が家では5-95くらいで当方が聞き役になるのだが、マダム曰く『全然聞いていない』との評価になるらしい。極めて遺憾である。
休日も家にいるし家族と過ごす時間も増える
上述した様に、娯楽がないから、せっかくの休みでも娯楽を目的とした行動がなかなか取れない。
なので、家にこもって勉強の様な事をするか、ジムに行くか、的な選択肢が上位に来る。
サークル活動的なのもあるが、そこにも家族でみんなで行くケースが多い。かなり多い、と言う表現の方が正しいかもしれない。
当然、そこに至るまでの道中が、同じ車に乗ってべちゃくちゃしゃべりながら、になるのは明らかである。
3連休とかあるとすぐに旅行に行ってしまう
これは子供がアメスクに通っている家庭限定かもしれないが、年間休日が188日(!)もあるクソなめたアメスクは、気安く3連休を作って来る。
3連休が出来た瞬間、旦那が会社を休めるかどうかを確認する前に、まず旅行の計画が立てられる。
そして多くの場合、旦那も気合いで休みを取り、家族との時間プライスレス@どっかのリゾート の誕生だ。
但し、中学生は、土曜日まる一日を使って補習校で授業、と言う鬼タフな日々を過ごす事になるので、この法則が適用されないかもしれない。
週6学校とか大変だよね。。と思ってしまう。ガンバレ中学生。
そもそも家族でガッチリ固まってないとサバイブ出来ない
最後に穏やかではない表現を使うが、チェンナイは色々な事が起きる。
ウルトラ抽象的な表現だが、とにかく色々な事が起きるのだ。
当ブログの過去のエントリでも、色々なトラブルが恨みつらみと共に際限なく書きなぐられているが、リアルにトラブルのデパートなのだ。
そのトラブルに直面した時、『個』が思い思いの行動に走ったらどうなるか。
仮に家の中で起きるトラブルであれば、オヤジ放置⇒オカン疲れる⇒オカン気が滅入る⇒家族崩壊の黄金方程式が見え隠れするワケで、さすがにそれくらいみんなわかっているので、一致団結して問題解決に当たるしかない。
禍転じて福と為す。この有り難い格言を、チェンナイでは日常茶飯事で体感出来るのだ。嗚呼チェンナイ。
如何だろうか。
ここまでガマンして読んでくれた方は、チェンナイはなんと素晴らしい所なのだろう、との極限の錯覚に陥り、旦那に対してチェンナイ赴任の可能性がないか、光の速さで問合せをしている事だろう。
むしろ既に航空券予約のプロセスに入っているかもしれない。
チェンナイに事業所なんてねーよ、、と言う人は已む無しだが、他の海外赴任地でも、ある程度エグい場所であれば、上述したケースがそこそこの確率で当てはまるのではなかろうか。
当方はチェンナイにしか赴任した経験がないので何とも言えないが、一般的に『エグそうな赴任地』と言われている所であれば、同じ様な事が起きるのでは?と邪推している。
何れにしろ、チェンナイに限らず、過酷地への赴任に対しては、是非とも家族帯同を検討して貰いたい、と思うのだ。
そして光り輝く『家族』の形を帰任後の日本にも持ち帰り、荒んだ日本に風穴を開けてやろうぜ!と言う壮大な思いを込めつつPCを閉じる事にする。
~今日の教訓~
最近、何を書いているのか自分でもわからない。
どこに向かってるんだろ。