ご存知の通り、チェンナイには日本人学校がない。日本人在住者の規模を考えれば当たり前で、その代わり、補習授業校と言うものが存在している。
Wikiさんによると、補習授業校と言うのは、全日制の日本人学校とは違い、日本人学校のないエリアに置かれる、国語や算数を中心に補習的に授業を行う学校の事を言うそうだ。
土曜にガッツリ集中して一日勉強するパターンと、平日の学校(アメスクとか現地校)終了後に、夕方を使って授業をするパターンの2つがあり、チェンナイは後者となる。(厳密には中学生だけは前者になる)
そのチェンナイ補習授業校で、人生初の『親として先生と面談』と言うものを体験したので、その話でも。
中高の進級5回のうち、4回も進級判定会議にかけられ、その結果を先生と面談する、と言う事は毎回やっていたので、『先生と面談』と言うクリティカルワードを聞くだけで、ドキがムネムネするのだ。
大切なのは勉強よりも人としての成長じゃい
1人15分ね、と言う持ち時間を完全シカトして、25分くらい拘束してしまったのだが、主に『学校に何を求めるか』の様な話をした。
先生の意見はここでは控えるが、当方の求めるものは、極論を言えば勉強よりも人間力。
当然勉強も大事ではあるが、ハッキリ言って勉強は後からいくらでも付いて来るし、親が本気出せば家でも叩き込めると思っている。何なら塾とかに外注すれば良い。
それよりも、アメスクに通っている事によって失われて行く可能性が高い、日本的な団体行動の規範だったり、その他の倫理観の様な日本社会の良い所を、他人と関わると言う意味で社会の縮図とも言える補習校で確りと学び取って欲しい、そして先生には、もし親の気付いていない様なおかしな点があれば、厳しく指導して欲しい、と言う事の方がよっぽど重要だと思っている。
勉強が出来ても真っすぐ育たないと意味がない
当方は、激烈教育ママンだったおかんによって、本人の意思とは全く関係なく、幼稚園から公文式に入れられていた。(関係ないけど、Macの標準変換にくもんしき って入ってないのね。苦悶式になっちゃう)
結果、漢字には結構強く、暗算もかなり速くなったのでママンには感謝しているのだが、その反面、漢字の読みを間違えたり暗算が遅いヤツと話しているとイライラする、と言う精神的欠陥を抱えるに至ってしまったし、小学校は勉強する場所じゃないと勘違いしていたので、中学になって同じノリで遊んでたらついて行けなくなってあっさりグレると言う結末を迎えるのだが、それはまた別の話。
その他にも、アトリエ的な所にも入れられた際に、そこの先生から『タマちゃんがいると他のみんながレッスンに集中出来ません』と言う理由で退会させられるハプニングもあった様で、要は、勉強が多少出来たとしても、人間的に成長出来ていないと困るでしょ、って話だ。
当方の場合、その舐め腐った根性は、大学の体育会で完膚なきまでに叩きのめされ、何とか多少なりともまともな人間になった(自称)のだが、その機会を失っていたら、と思うとマジで恐ろしい。
なので、我が子に対しては、そう言った点での成長を第一の優先順位として考えていて、勉強については二の次、とまでは言わないにしても、人間力重視って点から行くと次点である。
人間力って何さ、と言う議論は非常に難しいテーマなので置いておくとして。
場所が日本だろうとチェンナイだろうと、本質的なテーマは、『子どもの成長を如何に最大化するか』であるはずなので、そこに向かって、教師も親も良く話し合って協力しましょう、と言う話だ。
言うは易し行うは難しなんだけどね。
〜今日の教訓〜
東大出てても使えないヤツはマジで使えない。
最近東大をdisり過ぎてて刺されるな。でも勉強ばっかしてても意味ないよ。