今更ながらコロナと奮闘した件

2020年から始まったこのくそったれコロナ騒動もはや3年。アメリカでは去年からほぼ終わったものとして扱われており、オハイオのクソ田舎のオラが街ではマスクをしている人はほぼ見ない。

とは言え、あくまで『ほぼ見ない』だけであり、スーパーとかに行くとマスクしてる人はチラホラいるし、ミシガンのTrader’s Joe(やや高級スーパー、ミシガンのが我が家から最寄り)ではマスクシェアは2割くらいに増えるイメージなので、完全に終わった扱いはされてないんだろう。

かく言う当方も、長いものにすぐにグルグル巻きにされるので、マスクなんぞすかさず外し、我が家には50枚入りマスクの在庫が6箱程山積みされてる状態が続いていた。

で。

どこでどう拾ったか分からないが、3年経って今更ながら当方がコロナを拾ってしまい、かなりキツかったのでそのおはなし。

2/20(月)

午後くらいから下半身に筋肉痛を覚える様になる。前日にフロントヤードを少し改造する工事をしてて、立ったりしゃがんだりをかなり繰り返してはいたものの、その程度で筋肉痛が来るはずがない。

おかしいな、と思いつつ仕事して帰宅したが、夜になってなんとなく節々も痛み出し、これは風邪だ、と判断し、鋭くルルを飲んで23時頃就寝。熱は測らず。

2/21(火)

朝6時に起きて長女の弁当作り。当然ながら体がダルいので、弁当はスーパー手抜き。パンにジャムをぶちこんだだけのやる気レス弁当だったが已む無し。これよりはマシだろう。

この日は自分主催の会議が2つもあったので、何とかして出社出来ないか探ったものの、どうにもならず断念。そして簡易キットでコロナ検査してみた所、人生初の陽性だった為、すかさず就寝。

この時点では、熱はまだ37.5℃程度で、お茶漬けは食べられていた。

夕方くらいから完全に雲行きが怪しくなって来て、頭痛はすごいわ全身も痛むわでどうにもならなかった。

熱も、測ってみると39℃オーバー。

今振り返ると、この夜が一番辛かった気がする。何故なら『まともに寝られなかった』から。

普通、頭の中で考えてる事って、一つだろうが二つだろうが、基本的には自分で考えたものであるはずだ。なんだけど、この日は何故か誰か(仮に殿下2号とする)が2つ目のネタを勝手に放り込んで来る現象が発生した。実に気持ちが悪い。

なので、ウトウトと寝かかっても、人迷惑な殿下2号が変な事を放り込んで来る為、目が覚めてしまうのだ。意味不明。

視覚を伴わないだけの一種の幻覚的なヤツだったのかもしれないが、何れにしろこの日は最長で20分くらいしか寝られなかった。

薬については、Tylenol(タイレノール)というアメリカでは超有名らしいアセトアフェノミン?を飲みたかったが、マダム(嫁さん)から、

子供用のシロップならあるからそれなめとく?

と言われ、クソ甘いシロップをぺちゃぺちゃしたのみで、それ以外の投薬はなし。そして大した効果なし。残念。

ちなみに朝のお茶漬け以降、水以外は何も口に入れられなかった。

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2/22(水)

毎朝やっていた長女の弁当作りもさすがに断念。夜泣きする四女を対応してくれているマダムが6時起きを強いられ、しかもリアルタイムで当方自体は起きていたので、非常に申し訳ない気持ちになる。

以前コロナワクチンを打った時に、タイレノールを購入した記憶があったので探してみたら、棚の奥底に眠っているのを発見。賞味期限的なのは切れていたが、子供用よりはマシ、と判断してドクターマリオみたいなドギツい色のカプセルを2錠摂取。0.5℃くらい体温が下がった感はあったが、数時間でリセット。

前日から続く殿下2号の妨害がこの日も続き、頭痛も全身痛も尋常じゃないので、たまらずERに電話。こう言う時の英語の電話はマジで辛い。

May I help you?と言って出て来た人に、文字通り全身全霊で名前と症状と質問をぶつけた所、私の管轄じゃないから転送するわ、と言い放たれるが、憤怒する気力もなく受け入れざるを得なかった。已む無し。

次に出て来た人に同様の説明をし、ERに行った方が良いのか、行かずとも処方箋書いてくれるのか、と聞いたら、とりあえず来いと言われてしまったので、再度名前を伝え、レセプションに言っといてねとお願いして自ら運転して病院へGo。

正直、運転なんか出来るコンディションじゃないので、せめてTwiceを聴きながら心に麻酔を打って病院に向かおうと思ったけど、プレイリストを操作して選択する元気もなく、自動再生で勝手に流れて来た倖田來未に対して、違う、そうじゃない、と鈴木が流れたりしていたがそれはまた別の話。

と言いつつ、3分で着く距離なので、何とかレセプションに辿り着いて、

さっき電話したタマノミヤですぅ…

と助けを求めると、はぁ?聞いてないよ、ここに名前書いて、とアメリカっぽい対応をされたが、ここでも憤怒する気力はなし。

色々質問されたが、その中で突如として

自殺したくなった事ある?

という超魔球を放り込まれたので、2回くらい聞き返してしまった。この顔であるワケねーだろ、とか言ってやりたかったがそんな余裕は一切なく、すったもんだはあったものの、診察&鼻グリグリの結果、無事にコロナ確定。

そして、PAXLOVIDという、日本ではまだ認可されてないっぽい薬を無料で処方され、コロナ患者のくせにノコノコと近所のスーパーに併設されてる薬局へ乗り込んでお薬ゲット。診察の過程で、とりあえずこれ飲んどきな、と渡された謎の錠剤を飲んでいたのだが、それによりやや体調は持ち直していた。

帰宅して、調子に乗ってマダムが作ってくれたおかゆを食べてみたりしたが、ものの数時間ですぐに39℃へ逆戻り。ジーザス。

すかさずPAXLOVIDを服用し、大人しく就寝。この日はわりと長めに寝る事が出来た。

なお、口の中の気持ち悪さが尋常じゃなかったのと、ほぼ何も食ってないのにゲリクソン気味になったので、これは薬の副作用なのでは・・と思ってChatGPT殿に聞いてみたら、案の定副作用らしい。

2/23(木)

インフルの時のタミフルの様に、PAXLOVIDを手に入れたのだから後はもう快方に向かう一方、と勝手に思っていたが、マジで一向に良くならない。

ノーゲインではなく、ピーク時と比べると多少良くはなっていたが、かと言って何か作業が出来る様なレベルには全く達しておらず、この日もひたすら寝て過ごす事に。

そして、それこそまさにunfortunatelyだが、マダムまでコロナになってしまった。泣きっ面に蜂、殿下のツラにしょんべん、としか言い様がない。

こうなると家の中のオペレーションが崩壊するのは言うまでもなく、長女は何とか一人で歩いてバス停まで行ってもらったが、毎朝車で学校まで送っている次女はどうしようもなく、ド健康なのに休みにせざるを得なかった。

夕方くらいには少し動ける様になったので、気合で米を炊き、大事に取ってあったボンカレーを子供達に振舞って父親としての威厳をキープしておいたが、当方はたまごスープのみでおしまい。

2/24(金)

7割がた回復したが、車を運転して次女を車内で至近距離から攻撃するのはまずかろう、という事で、今日も次女は休み。

マダムも引き続き激しい頭痛に襲われていたので、この日はルンバを久しぶりに稼働させたのだが、しばらく動いていなかった間に家具のレイアウトがかなり変わっていた為、ルンバは完全に混乱しながら働いていた様に見えた。

前日に引き続き鋭く夕飯を担当し、パスタを湯がいて青の洞窟をブチ込むという重労働をこなした。

当方も何とか食事を摂れる様になったので、発症した火曜から数えると3日間はほぼ何も食べられなかった事になる。

これはかなりの体重減が期待出来るぞ・・・とドキをムネムネさせながら体重計に乗ってみた所、たったの2kgしか落ちておらず、深い気持ちになった。


という事で、今更ながらコロナにかかった話を書いてみた。

結論としては、

こんなモンかからんで済むならかからん方が良い

としか言い様がない。

どこで拾ったのかが分からないのでどうしようもないが、人混みはやっぱり避けた方が良いんだろう。

梅雨時に勇ましく日本へ一時帰国する予定にしているが、その頃にはコロナも更に弱毒化している事を祈る。

みなさま、ご安全に!!

〜今日の教訓〜

ERに行くとマジで死にそうな人がいたりする。

結構怖いよね。

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