恥ずかしさの尺度を考えてみる件

先日、豪快にうんこを漏らした。齢35歳にして、痛恨の一撃である。

通常、この手の話を書くと、眉を顰められるケースが多いと思う。

そんな事を言って恥ずかしくないのか

恥を知れ

と言った論調だろう。ツイッターなんかで言うと、『フォロワーが減る』様な事象だ。今日はこの観点について。

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うんこを漏らす。この行為は確かに相当恥ずかしい。文字にするとさすがにキツい。

人に知られて恥ずかしい行動ランキングみたいなのを作ったら、かなり上位にランクインするのが一般常識だと思う。

ただ、正直当方はあんまりそうは思わない。

当然、胸を張って言えるか?と言うと、そんな事はないが、出ちゃったモンはしゃーないよな、程度である。そもそも、閉じるボタンがないエレベーターがこの世に存在している事が悪い。

ただ、この感覚は、恐らく『世間とはズレている』んだろう、と自分でも思う。

自分が周りからどう思われているか、自分で判断するのは難しいが、自己評価をすると、結果はいつも『そこそこまともなオトナ』になってしまう。

項目ごとにレーダーチャートを作ったとしても、そりゃ何個かは低い数値があったとしても、平均するとそこそこの値になると思っている。

この自己評価が、自分の評価センサーが著しくぶっ壊れていて、実は圧倒的な勘違いである可能性は勿論否定出来ないが、まぁ何とか大きな揉め事もなく、日本人社会で今まで生きて来れているんだから、そこそこなんだろう。

その前提条件で考えた時、当方と言う人間はぱっと見ではまともな人間だけど、うんこの面では決定的に世間とズレている事になる。ここはミソだ。

要するに、

まともに見えるけど『何かがズレている』人は結構いるのではなかろうか

これが仮説だ。

この『何か』が当方の場合は『うんこに関する事』だが、人によっては『他人との接し方』だったり、最悪のケース『子供を虐待する事』だったりするケースも充分に想定出来る。

従って、例えば仕事の付き合いで、

なんなんだこいつ、マジクソかよ

と思うヤツがいたりするけど、そして多くの場合、その人は周りから後ろ指を指されてたりするけど、実は仕事を一歩離れれば良いヤツだったりするケースはあるだろう。

なので、最近は、そう言うクソ野郎に遭遇したとしても、

まぁ今俺が見てるこの点においてはクソ野郎だけど、普通に良いヤツかもしれないしな、ってか向こうも俺がうんこ漏らしてる事知ったら嫌いになるだろうしどっこいどっこいだよな

と言った超絶オトナな見方で対応する様にしている。

結局何が言いたいかと言うと、

不快に感じる事があったとしても、その他の点においては普通の人だったりする可能性があるし、その人から見たらこっちが変だったりするケースもあるんだから、陰口叩いたりあからさまに嫌ったりしなくても良いじゃん

これだ。

インドに来て、何かオトナになった気がしないでもない。

あともう一つ大事な点。

このブログを読んでいる方は、基本的に成人の男女だろうと思っているが、もし中高生、或いは万が一にも小学生が読んでいるとしたら、声を大にして言いたい。

うんこを漏らす事は恥ずかしい事じゃないよ、と。

違うかー

〜今日の教訓〜

19歳でおねしょした事もある。

人生初の体育会での夏合宿が終わって帰宅して、疲れ過ぎて20時間寝続けた結果、おねしょで起床した。

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