先日、とある知人から、
殿下はそっち側の人間だもんな
と言われた。
『そっち側』と書くと性癖の様ではあるが、そうではなくて、俗に言う陰キャ陽キャ的な話の事だ。
その彼曰く、君は明らかに陽の当たる所を歩んで来た人間だ、との事で、君には陽の当たらない所にいる人間の気持ちはわからないだろう、の様な事も言っていた。
そう言われればそうなのかもしれない。わかりやすい例で言えば、いじめられた記憶はあんまりないし、ネクラでもないだろうし、学歴もそこそこ立派だし、ゴリゴリの日陰を歩んで来た様な認識はあまりない。
分類で言えば、確かにそっち側、と言う事になるのかもしれない。
かく言う彼も、今や陽キャ的存在なのだが、昔は陰キャだった、との事。だから、俺は両方の気持ちがわかるし、陽キャにも陰キャの気持ちはわかっておいて貰いたい、の様なロジックの事を言っていた。
まぁ、確かに一理ある。いじめられた記憶は忘れないが、いじめた記憶は残らない、みたいなのと本質的には同じだろう。
一方で、当方が思うのは、
俺だって超絶陽キャ軍団に入っちゃったら陰キャ的存在になるんだぜ
と言う事。
例えば、学歴もちゃんとあってラグビーも上手くて顔も良い、山田章仁くんが3人いて、その中に殿下が1人ポツンと放り込まれたとしよう。
見劣り感は尋常じゃない。あっという間に陰キャの誕生である。唯一勝てるとしたら、インド英語のヒアリング能力くらいか。
まぁ、章仁は3人もいないし、これは非現実的な例えではあるが、
自分が陰キャ的存在になる瞬間
なんてモンは過去に幾度も経験して来ている。
ただ、30ウン年生きて来てつくづく思うのは、
上には上がいるし下には下がいるんだから比較してもしゃーないでしょ
だ。
俺は俺、他人は他人、比べる事には意味がないのだ。
SMAPだって言ってたでしょ、それなのに僕ら人間はどうしてこうも比べたがる?一人一人違うのにその中で一番になりたがる?と。SMAPじゃなくてマッキーか。
こう言う事書くと、
陰キャの気持ちもわかんないくせに
とか言われそうだが、聞きたいのは、
陰キャって言われる人々は人生で楽しい瞬間は1mmもないのかい?
だ。
Yesと言われたらもう返す言葉もないが、楽しいと思う瞬間があるのならそれを最大化すれば良いのでは?とか思ってしまう。
当方だって、根っからの陽キャみたいに書いてるが、小中高の同級生で今も付き合ってるヤツなんてほぼいないくらい浮いてたし(特に中高)、ラグビーだけが友達、みたいな感じだった。
単純に、その中でいじめられたりしてなかった、と言うだけで、ホントに仲良い友達なんてほぼいない。
それでもラグビーやってる間は楽しかったし、それが大学受験のモチベーションになって痔になるまで勉強したし、楽しい事があれば別に何だって良いじゃんと思えてしまうのだ。
なので、そっち側でもこっち側でも
- 俺は俺、他人は他人
- 自分が楽しいと感じる瞬間があるならそれを最大化
- 人を羨むのは女々しいからやめよう
- つーか人生に文句言うな
と言う事で宜しいでしょうか。
なんか、啓蒙セミナーみたいな内容になってしまった。
でもこうやって書くと、
そんな事わかっててもできねーからずっとこっち側にいるんだよ
とか言われるんだろうか。
長々と書いて来て最後に全てをひっくり返すが、結局の所、その人の人生を決めるのは、陽キャ陰キャのパーソナリティではなくて、生まれた環境或いは育った環境なんだろうな、と思っている。
その話はまた今度。
〜今日の教訓〜
性癖はこっち側である。安心してください。
違うかーーーー