二郎から考察する人間の幸せについて書いてみる件

当方が絶賛一人暮らし中だった事は既に何度も書いた。

昨日、家族が意気揚々と凱旋帰国(インドに)して来たので、ようやく一人暮らしの呪縛から逃れられたのだが、一人暮らしの最中は、主に

賞味期限が切れた食材を一生懸命消費する

と言う漢らしすぎる作業に没頭していた。

サンドウィッチマンの伊達と言う勇ましい男性が、

カステラはグシャっと潰せばカロリーがなくなるからいくら食べても太らない

と言う金言を残していた。

ちょっと違う事はわかっているが、『冷静に考えればそれ間違ってるよね』と言う点において本質的に同じ内容だと考えているのが、

食品は冷凍しておけば永久に食べられる

と言うもので、我が家においては、この信念に則って、お菓子から何から、なんでもかんでもポイポイとフリーザーにブチ込んでいる。

結果的に、色々なモノが不甲斐なく賞味期限切れの状態に陥っており、中にはそもそもが冷凍食品であるにも関わらず、半年以上賞味期限オーバーしている食品すらある。

彼らを救出し、大至急消費する事が、一人暮らし中の当方に課されたミッションだったのだ。

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漸く本題に入るのだが、以前、こちらのエントリで、ラーメンを冷凍宅配してくれる宅麺について紹介をした。

宅麺でオーダーをし、自宅で食べる二郎系ラーメンが死ぬ程美味しかったので、たくさん持って帰って来たのだが、実は何個かまだフリーザーに眠っていた。

案の定、半年くらい賞味期限が切れていたので、即座に調理(湯煎するだけ)して食べたのだが、まぁ何と言うか、控えめに言ってもクソ美味い。大袈裟に言えば失禁して失神するレベルで美味い。

実際に流す事はないが、食べながら涙を流せるレベル と表現しても何ら問題はない。

そんな事を思いながら、ふと学生時代の事を思い出した。


宮田:花輪君みたいな典型的な金持ち。フォアグラだのキャビアだのが好み。二郎を『汚らしい食べ物』とカテゴライズし、軽蔑している。

佐藤;二郎が大好き。

タマ;ぼく。二郎が大好き。

この3人で会話をしていた。

宮田;なんでみんなそんなに二郎ばっかり行くの?よくあんな不味そうなもの食えるよね。

タマ;貴様はただの食わず嫌いだ。

佐藤;そうか?俺はたかだか500円くらいでこんなに幸せになれるんだから、俺はなんて幸せ者なんだろう、って思ってしまうんだよね。

非常に短い会話だったが、佐藤の言葉はすごいと思った。

バカにされた感じがして、少しイラっとした当方が情けなくなるくらい、佐藤の言葉は本質的であり、人間として何が大切なのか、を教えてくれるものだと思う。

この事を思い出して、ふと考えた。

これはインドにおいても当てはまるのではないかと。

当方は人間的にかなり未熟であり、宮田と同様に人をバカにする事がある嫌な人間なのだが、お世辞にもキレイとは言えない家に住むインド人を見て

良くあんな家に住めるな

等と、冷静に考えれば傲慢極まりない事を思ってしまう事がある。

だが、そこに住むインド人が必ずしも不幸だとは限らないし、むしろ日々を非常に楽しく過ごし、幸せに生きている可能性がある。

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人間、誰しもが何かしらの才能や力を持っていて、それを努力によって最大化しようとしている。

それは身体能力だけではなく、お金を稼ぐ力だってそうだと思う。

が、限界は存在するだろう。

例えば身体能力で言えば、いくらベンチプレスを頑張っても、1トンのベンチプレスが挙がる人間はいないだろう。

今80kgでひぃひぃ言っている当方に至っては、100kgくらいが限度じゃないかと思う。相当な努力をしたとしても、130kgとかは厳しい。

見た目だってそうだ。

いくら当方が竹野内豊になりたい、と言って竹野内を目指した所で、自分の努力ではどうにもならない。強いて言えば、顔が一番いじりやすくて近道だとは思うが、179cmで恐らく60kg台と言う竹野内豊のスタイルに、172cm 83kgの当方が近付くには、全身に複数回の整形を施すしかないし、そうしたとしても遠く及ばない。

それは所謂ないものねだりと言うヤツであり、いくらないものねだりをしてもどうにもならないケースだってある。

誰しもが、その持てる力、持てる才能の中で努力して、折り合いをつけて、如何に幸せを感じられるか、と言う所に悩んでいるんだろう。

無理な所を目指して疲弊するより、考え方捉え方次第で幸せを感じられるのであれば、人としては豊かだとも言える。

先ほどの二郎の話に戻ると、金持ちの宮田が日々食べている様な(良く知らないけど)食材には手が届かなくとも、そして宮田が何と言おうとも、二郎が美味い事には変わらないし、たかだか500〜600円だとかそんなレベルで満足出来るなんて素晴らしいじゃないか。それこそ幸せを感じられる部分だ。当時はそう思った。

インド人の話においては、そのボロい家に住んでいる人がどんなカーストなのか知らないけど、彼は彼で与えられた環境の中で一生懸命生きていて、日々の生活に幸せを感じているとしたら、それはもう他人がとやかく言う事ではない。

他人が何と言おうと俺は俺、と言うスタンスで生き、そこに幸せを感じられる人が、人類においては最強なんじゃないか、と考えてしまった。

身近なケースで言えば、美味しいな、と感じられるラーメン屋が近所にある事に、小さな幸せを感じ続けられる様な人間でいたい、と言う事だ。つまり、秋平がチェンナイにいる事、もっと言えば北海道や富士やくふ楽等で日本食が食べられる事には、もっともっと幸せを感じられる様になりたい、とも言える。

やや真面目な話になってしまったが、失禁するレベルで美味すぎるラーメンを食べていたら、自分は自分、と言う考え方を貫きつつも、日々の生活に転がっている当たり前かもしれない事に小さな幸せを感じられる豊かな心を持つ事が大事だよなと思った、と言う、かなり飛躍した話を書いてみた。

最後に、似た様な歌詞を持つlittle eyesと言う歌をお送りして今日のエントリを締めたいと思う。

〜今日の教訓〜

人には人の道があり それをただ認める事で 僕には僕の道がある ようやく見えたんだby Happy Cat

お母さん、ぼくは謙虚に生きるよ。

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