五郎ちゃんの引退が寂しい件

五郎丸歩と言う名前は、ラグビーにあまり興味がない方でもご存知ではないだろうか。

2015年W杯、ブライトンの奇跡と言われた南ア戦勝利の立役者の一人であり、その後しばらくラグビー界の顔であり続けた人だと表現しても間違ってはいないと思う。

彼が大学1年生の時に当方は4年生であり、秋の対抗戦では男らしく73-17で蹂躙された。2019年末に急逝した当方の同期が、ハイパントをフェアキャッチした五郎ちゃんの足にまとわりつき、振り払おうとしたのが蹴りを入れた様に見えたらしく、五郎ちゃんはまさかのシンビン。それくらいしか盛り上がるポイントのないワンサイドゲームだったが、当時はまだ1年生と言う事もあり、2004年シーズンだけを切り取った時の凄さで言えば山田章仁の方が上だったかなとは思う。

翌年以降は五郎ちゃんもプレーに凄みが出て来て、毎年後輩の試合は観に行っていたが、泥酔した五郎丸にも勝てないと言う格言が出たくらい毎回無双されていた。確か、学生の間に日本代表にも呼ばれていたはずだ。

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正直、学生の頃の五郎ちゃんはいちラグビーファンとしても好きではなかった。何回やっても勝てない相手を妬んでいた部分があったのもあるし、もっとシンプルに顔付きと態度が気に入らない、と言う幼稚な理由だった。

秩父宮での試合の後、どこかの企業が用意した社有車的な車に乗り込む五郎ちゃんを見た事があるが、開けてくれた運転手に会釈もしない態度を見て、そんな待遇を受けた事のない人間の小さい我々は憤怒していた。10年後、インドで同じ様な待遇を受ける事になったが、良く良く考えたら当方もドライバーに会釈なんかほぼしてなかったので、五郎ちゃんの事を言う資格がない、って事に今更気付いた。申し訳ない。

話を戻すと、五郎ちゃんも2008年からは社会人になり、ヤマハでも普通に試合に出ていたが、2011年のW杯の時は五郎ちゃんは選ばれず、バック3はショーンウェブ・上田泰平・小野澤宏時・遠藤幸佑・宇薄岳央と言う、今思えばあまり納得感のないメンバーだった。

この時期、五郎ちゃんはヤマハの業績不振によるラグビー部縮小の影響を喰らっている。直接聞いたワケではないが、メンタル的にはなかなか辛かっただろうなぁ、とは思う。

東芝で、廃部危機にもつながる大問題に直面した廣瀬俊朗パイセンも、その危機を乗り越えて人間的に大きく成長した、と言っていたし、五郎ちゃんもこの逆境が結果的にはプラスに働いたのかもしれない。

結果、再度日本代表に定着し始めた頃からは、これホントに五郎ちゃんかね?と思うくらい顔つきが変わっていたし、その背景にはそう言う苦労とかもあるのかなぁ、と勝手に思っていた。

その後のご活躍はご存知の通り。2015年、最終戦のUSA戦の後の涙のインタビュー、これにはさすがに貰い泣きした。


面識もない人の事を好き勝手に書いて申し訳ないが、日本ラグビーの発展にめちゃくちゃ貢献した人であるのは間違いないし、五郎ちゃんに憧れてラグビーを始めた子供だっているくらいだし、実際チェンナイで当方がラグビーを教えていた子供達も五郎丸ポーズとかって真似してたワケで、本当にお疲れ様でしたと言いたい。

最後は怪我で試合に出れなかったのが残念。

後でもう一回南ア戦観てみよ。


〜今日の教訓〜

山田章仁がシアトルに来るらしい。

遠くて行けねぇよ。

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