当方、京浜東北線の与野駅と言う剛直な駅に住んでいる。
両隣のさいたま新都心と北浦和より人口も店の数も少なく、ちょうど良いエリアだと感じているのだが、先日のエントリで書いた串カツ田中に続き、新しく韓国料理屋さんが出来た。
韓国料理屋さんが出来ると、
おっ!
と思う。
なんでそんな反応するの? ってのが今日のおはなし。
どうも最近、日韓関係は政治の面においてはすこぶる調子が悪い様だ。まぁ、最近始まった話ではないけど。
あまり政治や宗教の事は言わない様にしているが、ヒステリックな反応をしている人を見ていると、まぁ良い気分はしない。冷静に話せない人なのかなぁ、等と思ってしまう。
と言いつつ、当方も韓国の政治は好まない。正直言うと、嫌いな部類に入る。
一方で、『韓国の人』に対してはマジで感謝をしている。何故ならばチェンナイで韓国料理に死ぬ程お世話になったから。
どれくらいお世話になったか、書いてみたいと思う。
そもそもチェンナイにはどれくらいの店があったのか
2016年の4月にチェンナイに赴任した当方。
やっぱり駐在員たる者、現地の食生活にも慣れないとね!
と寝言をほざきながら、醤油とマヨネーズ、その他具体的には覚えてないけどリアルに数週間分の食材くらいしか持参&送付しなかったのだが、序盤のホテル生活を終えて間も無く、自分が如何にアホな事を考えていたかを思い知る。
何故ならば、インド料理に慣れる為のステップアップとして考えていた会社の社食がゴミカスレベルに不味く、毎日のランチでHP(ヒットポイント)をジワジワと削られた結果、
インド料理なんて嫌い・・・
と心に深い傷を負ってしまったのだ。インド人スタッフですら不味いって言うんだからホントに不味いんだよね。
先ほどの寝言と共に持参した食料も、当たり前ながらあっと言う間に底をつくので、そうなると、外食に頼らざるを得ない。
当時、チェンナイで食事で頼れる所と言えば、ハイアットだのインターコンチだのと言った高級ホテルに入っている店以外では
- 秋平(ラーメン屋)
- Fuji(日本料理屋)
- ニューソウル(韓国料理屋)
- その他カフェ
くらいしかなかった。
正確に言うと、ダリアって言う日本食屋とかもあったりしたんだけど、家からクソ遠いんだよね、、的な点もあり、また単身赴任だった事もあり、しばらくは上述の4択で控えめに細々と生命活動を維持していた。
そんな生活を半年くらい送った後、2017年の1月に家族がチェンナイに来て、それまでの自分のリサーチ不足を激烈呪ったのは言うまでもないのだが、もはや後のフェスティバルであり、飲食店情報については、一生懸命情報収拾を試みた。
が、当方のカスな情報収拾力よりも、マダム(嫁さん)が学校でママ友から仕入れて来る情報の方が質・量ともに圧倒的であり、途中から戦力外通告となったのはファイヤーをウォッチするよりもオブビアスなのだ。已む無し。
と言うのが前段。
最も助けられたのはAESEO
で、まず家族の赴任直前に、AESEO(エソと読むらしい)と言う韓国料理屋が、自宅から川を挟んだ反対側くらいのニアサイドにオープンした。
この絵面↓がどれだけ衝撃的だったか・・・
当然の事ながら、ここはマジで何回行ったかわからん、と言うくらい行った。ありがとうAESEO。
我が家は、日本にいてもチェンナイにいても外食をあんまりしない傾向にあるのだが、それでもこのAESEOは数十回は行ったのではないか。
ちなみに、最終的にはこのAESEOは潰れてしまう。タミルナドゥ州政府と韓国領事館の対立があっただの、AESEOの周辺に住む権力者が『夜遅くまでうるせーんだよ』って言った事が発端だっただの、色んな説が流れたが、とにかく潰れた。
AESEOの次はYoung Doo
エッソッソが潰れてしまったモンだから、こりゃ困った、って事で次に頼ったのがYoung Doo。ヤンドゥー とか言ってたけど、本当の発音は知らん。
ここは、家から車で20分くらいの距離にあった店が、10分くらいの距離の所に移転したって事らしく、移転後に相当使わせてもらった。
ただ、移転後がホントにYoung Dooと言う名前だったのかは謎。
移転前。
移転後。
書いてあるハングルも違う気がする。まぁ、細かい事は気にしない。みんながYoung Dooだって言ってたんだからYoung Dooなんだろう。
ここも普通にご飯は美味しくて、お客さんとの会食にも家族との飯にも何回も使わせて頂き、マジで助かりマンモスだったのだ。
写真を探したら、大の大人3人で食い散らかしている写真が出て来たのでポスト。
下町のナポレオンで喜んでいるんだから、幸せのハードルが如何に低く保てるか、改めて実感出来る。
忘れちゃいけないニューソウル
そして最後にニューソウル。序盤に名前だけ出したが、コテコテの名前の韓国料理屋さんだ。
今回名前を出した3軒のうち、最もシティセンター寄りにあったので、会合系を良くここで行っていて、当方の最後の送別会もニューソウルでやって頂いた。そして案の定、泥酔した。
送別会後に、友人夫婦を自宅に招いて炊飯器やら米やらをお渡ししたらしいのだが、全く記憶にない。已む無し。
ちなみに、ニューソウルにはこんな感じのジンギスカン風のアイテムも序盤からあったのだが、やっぱりAESEOの炭火焼には勝てない。
それでも、そもそもにおいてチェンナイで肉が食べられると言う事の破壊力は凄まじく、毎回毎回咽びながら牛肉やらサムギョプサルやらチャプチェやらを頂いていたのは言うまでもない。
チャプチェに関しては、ニューソウルが一番美味しかった気がする。(どこも美味いんだよ)
と言う事で、この3軒だけで何十回、下手したらリアルに100回以上食事をしたかもしれないレベルだ。誇張じゃなしにマジで。
チェンナイ自体は韓国人が結構多く(と言っても何千人もいるワケじゃない)、コリアンタウン的に韓国料理屋が出来るのはわかるんだけど、それでも世界中どこに行っても韓国料理屋ってのは存在するし、韓国の人々の突破力ってのはすごいな、とマジで思っている。
チェンナイの食材店だって、韓国の人が経営してる店に日本食が置いてあったりして、便乗して良く色々買っていた。(クソ高かったけど。↓マヨネーズ1,700円はヤバくね)
そんな環境で、娘も学校で韓国の子と仲良くなったりして、結果的に良くわからん韓国のアイドルグループの歌やら、何なら韓国語までちょっと覚えて来てたので、
お前韓国語より先に英語だろバカ
と圧倒される羽目に陥っていた。
ってな背景があるからこそ、冒頭に書いた通り、近所に韓国料理屋が出来ると気になってしまうのだ。DALLA DALLAと書いて来たが、やっと繋がったね。
与野の韓国料理屋さんに関しては、このコロナ禍の環境ではほぼ外食をしていない事もあってなかなか食べに行く機会がなく、まだ実力は確認していないのだが、現時点で判明している事として、
この店のテイクアウトメニューには当方大好物のチャプチェがない
と言うのがあり、それについては甚だ遺憾である。
当面は、殿下向け特別対応としてチャプチェをテイクアウトメニューに加えてもらう、と言うのを目標にしたい所だ。
なお、このエントリを書くに当たり、過去当方がポストしたチェンナイネタを見ていたのだが、写真がどれもこれもめちゃくちゃ懐かしくて、マジでチェンナイに戻りたくなった。
停電だの洪水だの断水だの食材全滅だの色々起こり過ぎてあんなに苦しかったのに、、、不思議。
〜今日の教訓〜
韓国人の縦社会は見てて超怖かった。
そして、アメスクでママ同士が殴り合いのケンカしてるのも衝撃的だった。