先日、めちゃくちゃ久しぶりに、日本にいる友人と電話をする機会があった。
この年になって長電話をするとは思わなかったが、30分程会話をしてしまった。
その中で、
死ぬこと以外かすり傷って言葉知ってる?
と言う話になった。
あぁ、なんか聞いた事あるな、と思いながら、何が起きても生きてれば大丈夫、みたいな意味だよね?と返した所から話は始まる。
どうやらその友人は、この言葉が嫌いらしい。この言葉は嫌いだが、俺は筋の通らない事も嫌いなので、大っぴらに嫌いとは言えない、とも言っていた。
彼が言うには、
何かムカつく言葉ではあるが、ここまで浸透するフレーズを考えた事は非常に凄いと思うし、じゃあお前これに代わる良い言葉作れよと言われても俺には出来ない、だから批判は出来ない
との事だった。それはそれで一理あるな、とも思う。
確かに、コロンブスの卵的な側面もあって、自分で思いつく事は出来なかったけど、他人が作った言葉を聞いた後、その言葉の響きが嫌いだから、と言う理由だけで批判する、と言うのはあまり漢らしくないだろう。
会議とかでもそうなのだが、健全な批判はいいよ、と。でもその代わり代案くらい言ってよね、と言うのはいつも思う。代案もなしに否定だけするのは、ただのマウントプレーであり、猿山の猿と同類だ、と言う事だ。
で、この話から発展して、
否定ばっかするヤツっていっつも文句ばっか言ってるんだろうな
と友人が言っていた。むむっ。
そう言えば、俺もいっつも文句言ってるな。インド人が時間守らないとかインド人の仕事の質がザル過ぎるとかインド人が言い訳ばっかりしやがるとかインド人がインド人が・・・
この事が一瞬頭を過ったが、気にしない事にする。
いつも文句を言ってるかどうかはわからないが、確かに否定した後に『だいたいさぁ』から始まる愚痴的要素のある発言が続きがちだったり、否定も愚痴も、『ネガティブな行動』と言う意味で一致する点は多い様な気がする。
まぁ、言いたい事も言えないこんな世の中じゃ云々、って反町先生も言ってたし、愚痴の一つや二つ出るよね、とも思わん事はないが、逆に
言いたい事が言えた時代なんて過去にあったのだろうか
と言うのは前々から感じている。
斬捨御免、無礼討ち、近年で言えば治安維持法など、日本は昔っからポイズンじゃないか、と。
なので、文句ばっか言ってないで、自分がやる事に粛々と集中すべきだよね、ネガティブよりポジティブだよね、とベクトルを自分に向ける良いきっかけとなった。
イチローが言っていた、
他人より頑張ったとは言えないが、自分なりに頑張って来たとははっきりと言える
この域に近付くのは非常に難しいが、そこを目指すべきなんだろうな、と言う事だ。
色々脈絡なく書いて来たが、結局何が言いたかったかと言うと、
最近日本の本社側で上司が部下をメールで血祭りに上げてるシーンが良くあって何ならCCで他の人もたくさん入ってる状態だからある意味公開処刑状態になっててそれはあんまり良くないよなぁと思ったものの良く考えたら俺も全く同じ事をインド人に対してやりまくっていてちょっと愕然としたんだけどでもまさに昨日公開処刑したそのくそったれインド人は明らかに貴様の怠慢プレーで迷惑かけてんのにそれを認めて謝罪もせずに更に他のヤツのせいにしようとする俺が一番嫌いな事をやりやがったしその繰り返しなので温厚な俺様も穏やかじゃいられないよねって事でガチで自主退職する様に追い込んでるヤツだから気にしなくて良いよねっつーか来週もずっといじめ続けてやる
これだ。
結局文句ばっか言ってるし、イチローの話とか霞みまくっちゃった。てへ。
〜今日の教訓〜
自分から辞める様に追い込むなんて相当難しい。
言っても響かないんだよね。どーゆー神経してんだよマジで。