先日、姉妹揃ってボコボコに怒られる事案が発生した。
怒られた内容は、文字にすると本当にどうしようもない事なのだが、
姉:YouTubeでクレヨンしんちゃんをずっと見ていて、『あと1話でお風呂』と言う約束をあっさり破って延長戦に勝手に突入
妹:脱オムツトレーニング中であり、『ウンコする前に宣言をする⇒トイレ直行』の約束を破りウンコして、しかも『ウンコしてない』と見え透いたウソをつく⇒更に怒られている最中に寝たフリ
と言う物。どちらかと言うと妹の方が重罪だ。
妹の方は、おかん(当方のママン)曰く、
幼い頃のタマにそっくり
との事で、怒られてても相手を笑わせれば終了、と考えているフシがある。
自分がそうだった記憶はあまりないのだが、おかん曰く、幼い頃の当方は怒られるとまずはふざけて『ガチで怒られてるかどうか』を見極めていたらしい。それが事実だとしたら、非常に姑息なクソガキとしか言い様がない。
最終的に、妹は替えのオムツを1枚リュックに入れて外に出される、と言う憂き目に遭うのだが、そこに至る過程が非常に興味深かった。
姉の方は、今の妹と同じ歳の頃、外に出されそうな気配を感じ取ると号泣して嫌だ嫌だと言っていたのだが、妹は多少抵抗した程度でさっさとリュックを背負って、靴も自分で履き、いつでも出れますスタイルになった。
あまりに姉と違ってあっさりしていて漢らしいので、怒ってるこちらが、
え、行っちゃうの?ちょっと待ちなよ
等と非常に漢らしくない感想を抱いてしまったくらいだ。
とは言え、こちらも後には引けないので、ドアを開き、丁重に外に出て頂いた。そしてスパイホールからずっと見ていたのだが、ふえーん程度にちょっと泣いた後は、ずっと下を見てぼけっとしていた。
何が起きているのかが良くわかっていないのか、或いは図々しいのかこちらがナメられているだけなのか、その辺の見極めが非常に難しいのだが、間違いなく言えるのは、姉とはタイプが違う、と言う点。
マダムは昔、同様に外に叩き出された際、
そっちがその気ならこっちもやってやんよ
とばかりにスタスタと隣町に向かって歩き出し、様子を見に来た親がスパイホールを覗いたらいないので、慌てふためいて捜索に出た結果、桜の木を一人で眺めていたマダムが発見される、と言うシュール且つ反抗的な過去があるらしく、そう考えると妹はマダムに似た特性なのかもしれない。
とにかく、姉妹でも全くタイプが違うのは確実で、姉にして来た事をそのまま妹にしても意味がない様に思える。子育て2巡目とは言え、どう接するのがベストなのか、非常に難しいのだ。
前、誰かの本かウェブか何かで、
1人目は親の子育ての実験台にされるが、2人目以降は1人目で実施したPDCAサイクルが完了した後の成熟した子育てとなる為、1人目よりも2人目以降の方が伸び伸びと育ち、2人目以降の方がリア充になりがち、逆に1人目は非リアになりがち
と言った内容の記述を見た事がある。
我々夫妻は2人とも末っ子根性丸出しで、且つ上とも相当歳が離れている(当方:7歳差、マダム:14歳差)ので、文字通り伸び伸び育って来た結果、図々しい特性を持っていると思う。一方で、甘やかされて来たからか、どうも夫婦共にハングリー精神的な要素が欠けているとも感じる。
他人を踏み躙って不幸にしてでも上に上がってやる、みたいな考え方はあまりないので、ガチの生存競争になるとぬるく敗北を喫する恐れがある。
我が娘たちの未来を考えた時、勿論伸び伸びと育っては貰いたいものの、少なくとも目の前の競争に勝ち抜く為の根性と知性は兼ね備えておいて貰いたいので、どう言う風に日々接して行けば良いのか、と言うのは本当に悩ましいのだ。
色々書いたが、要するに、
- 姉妹間の特性差にどの様に対応するか
- そもそも個々に対して何がベストなのか
が全くわからないと言う事になり、いざ文字にすると自分の子育てがどこに向かっているのか、はたまた正解なのかどうか、非常に不安になって来てしまう。
人間は欲深いな、と思うのが、出産前後は無事に生まれて来てくれただけでも感謝、みたいな気持ちだったのに、子供に対する期待値がどんどん膨らんで来て、ああしたいこうしたい、と考える様になってしまう点。原点に立ち返れば、元気に育ってくれるだけで感謝、になるのだが、元気に育った結果がぱっぱらぱーだったらそれはそれで拙いワケで、考えれば考える程ドツボにハマる。
どなたか、子育てとは何か、と言うテーマで飲みましょう。
なお、先程の話、外に出されたと言うか自らスタスタ出て行った妹は、1分足らずで、
蚊に刺されたらかわいそうだし効き目なさそうだから
と言う極めてぬるい理由で現場復帰を成し遂げていた。
子供とは言え、人を叱るのって難しいよね。
~今日の教訓~
そんな事やって甘やかしてるから妹が調子に乗るんだby姉
父ちゃんもそう思うよ。