うむ。タイトルが長い。
当方、満を持して日本に帰国したが、早くも帰国して来た事を後悔している。
チェンナイで年越しすれば良かった・・・
そう思う理由をたくさん挙げてみようと思う。
日本は寒い
日本は寒い。とにかく寒い。
チェンナイと同じノリで、飛行機の中で股間に汗をかきたくない と言うシンプル且つ超絶本質的な理由で、漢らしくハーフパンツで帰国した当方、内心震え上がっていたのは言うまでもない。
とは言え、冬のスポーツであるラグビーの経験から、当方の下半身の寒さに対する耐性はかなりのものなので、問題は、下半身よりもTシャツ+ユニクロのフリース1枚の上半身だった。
でも、考えてみて欲しいのだ。
チェンナイにいればこの寒さとは無縁。いつだって常夏のチェンナイ、なんて魅力的なんだろう。
やはり、年末もチェンナイにいるべきだ。
ついでに、いつだって常夏、と言う表現は、常夏の『常』に既に『いつだって』の要素が含まれているので、同じ言葉の繰り返しで、極めて国語力が低く見える。
犯罪を犯す、頭痛が痛い、女の女子高生、半裸の露出狂、この手の言葉を使わない様にしよう。
日本は乾燥している
とにかく湿度が低すぎる。
チェンナイの我が家ではまさかの湿度91%。
家の中で雨が降っているのかもしれない。
おかげでチェンナイでは肌がツヤツヤ。毎日水仕事をしても手が荒れない。
ところがここ日本では、風呂上がりでも乳液を塗りたくって、素敵男子をキープしなければならない。
チェンナイであれば、そんな事をせずとも、高い湿度と、内面から溢れ出す脂汁がお肌をツヤツヤの状態にキープしてくれるのに。
お肌の為にも、やはりチェンナイで冬は過ごそう。
日本のテレビがストレスなく映る
チェンナイでは、Slingbox経由でテレビを見ているが、ネット環境に左右され、常に画像が荒れたり、完全遮断されたり、と言うトラブルに見舞われている。
ところが日本では、そんなストレスとは無縁の状態が手に入れられてしまう。
これでは、日本人特有の『忍耐強さ』が失われてしまう。危険な状態だ。
今すぐインドに戻り、あのストレスフルな状態に自分を置くべきだ。
そうする事で、人間としての成長が見込まれるのだろう。
チェンナイで年末を過ごそう。
日本では自販機であったかい飲み物が売られている
羽田に着いた瞬間、あったか〜いと書かれた自販機が目に入る。
なんて事だ。
チェンナイで温かい飲み物を飲む時と言うのは、会社のティーボーイが持って来るチャイを飲む時だ。
その時、
僕;『Thank you!』
テ;『Welcome sir!』
と言う心温まるやり取りが行われる。
日本ではこれがなく、スイカをピッとすれば温かい飲み物が飲めてしまう。
コミュニケーションの逸失で、とてももったいない。
そしてチャイも売られていないのだ。
やはり、チェンナイに戻って、温かいチャイと、英語が話せないティーボーイと共に冬を過ごそう。
道がキレイすぎる
日本の道はキレイだ。ほぼフラットで、突起物など基本的にないと考えて良い。
これは非常に危ない状態と言える。
チェンナイには、意図的に設置されているスピードブレーカー以外にも、自然現象で発生した道路の陥没と言った事象が至る所で発生している。
且つ、頭を突っ込んだ者勝ちと言う道路交通環境から、急発進急ブレーキが多発している。
車が向き合って愛を確かめ合う事も日常茶飯事だ。
結果、凄まじい上下入力・前後入力・左右入力が加わり、お陰で、それぞれがそれぞれの入力を打ち消し合う様な状態となり、車酔いしない。まさに、毒を以て毒を制す、である。
更に、車酔いしてたまるか!と強い心で日々の通勤を過ごす事が出来る。
ところが、日本ではそんな上下前後入力はほぼなく、カーブによる左右入力のみが入る。
従って、あっさり車酔いしてしまうのだ。
やはり、全方向の入力を楽しめるチェンナイで日々を過ごすべきだ。
なお、鋭い読者諸賢はお気付きかと思うが、ここでも『入力が入る』と言う餌が撒かれている。
タマさんの国語力の低さを看破しよう。
シャワーの水でうがいが出来てしまう
これは危ない。かなり危ない。
このクセを身につけたままインドに行ってしまうと、ノドの炎症或いはもっと重大な疾患に陥ってしまう可能性がある。
生物としての危機管理能力が問われるシーンだ。
チェンナイで、ギリギリの生活をする事で、緊張感を持った生き方をすべきだ。
バスタブに入れてしまう
日本では、あったかいお湯を張ったバスタブに入り、身も心もリラックス出来てしまう。
まずい、非常にまずい。
弛緩しきった心は、確実に腹回りにも影響し、ゆるみ切ったお腹の出来上がりだ。
やはりチェンナイに戻り、ままならぬ食生活に苦しみながら腹回りにもプレッシャーをかけ、バスタブにも入らず、心に緊張感を与えておくべきだ。
皿洗いが一瞬で終わる
我が家では、水道水で皿洗いをした後、浄水器から出した水を沸騰させ、そこで煮沸している。
何故ならば、水道水に対する信頼性が破格に低く、いくらキュキュット!を使っていても、彼らですら凌駕されてしまう可能性があるから。
何らかの菌やら物質が食器に付着する可能性を、しっかりと念入りに排除し、食器に無限の愛情を注ぐ必要があるのだ。
ところが、日本に来ると、そんな必要はない。
チェンナイで我々が食器にかけている様な愛情は、日本では必要なくなってしまうのだ。
食器と過ごす時間が減ってしまい、彼らが『インドではあんなに愛してくれたのに』と思っているだろう事を考えると、申し訳なくなってしまう。
やはり、チェンナイに戻り、食器への愛情を思い出す必要がある。
如何だろうか。
これで、年末は日本に帰らず、インドで過ごそう、と心に決めてくれた方がたくさん出るだろう。
今回は、1/7まで日本に滞在する計画でフライトを取ってしまったので、今すぐにチェンナイに帰る事は出来ないのだが、来年はチェンナイで僕と握手!
・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
日本サイコーやで。