お前のメンタルタフネスには脱帽だよ!!と思う件

渡米して間も無く2年になる。それはつまり、インドから離れて間も無く4年が経とうとしている、という事と同義だ。

4年も経つと、当時は色濃かった思い出も段々と色褪せて来てしまうと同時に、過去の思い出というのは何故か分からないけど美化される傾向にある事にも気付く。

当方の場合、脳みそがどういう構造をしているのか不明だが、美化どころか改竄されているケースもあるっぽく、自分で自分を疑わなければならない、という破滅的な状況に陥る事が多々ある。

例えば、小学生の頃、自分の記憶では文句も言わず塾に通い、一心不乱に勉強していたと思うのだが、おかんに言わせると

学校から全然帰って来なくて塾の時間に間に合わないから、あっちの公園行ったりこっちの公園行ったりして探し回って、首根っこ捕まえて連れて行ってた

との事らしく、当然ながらそんな記憶は全くない。

模試では筑駒の合格率96%を叩き出しておきながら本番ではあっさり落ち、少年タマノミヤの心は深く傷つけれらたのだが、今思えば当方の知能レベルは中学受験の頃がピークだった様な気もする。已む無し。

いつもの悪い癖で話がズレた。

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そんな感じで美化される傾向にある『人間の記憶』。当方のインドの記憶も、ご多聞に漏れず美化されつつあり、

あそこはなんて素晴らしい赴任地だったんだ・・・また行きたい・・・

と恍惚の表情でほざきそうになるのだが、そこに鋭く待ったをかける人物が現れた!(ドラクエ風)

この人↑誰だっけ?

その人物とは、当ブログをインド時代から読んでくださっている方はご存知だと思うが、デリーでマネージャーをしていたYくんである。

インド赴任半年にして、デリーにいた部下が全員resignation letterを叩き付けて退社してしまい、代打オレ♡とか言いながら精神崩壊していた時に無理矢理採用したYくん。

今でも覚えているが、デリーのホテルにインタビューに来た4人(3人だったかも)の中で一番礼儀正しく見えたYくん。

実際一緒に仕事したら、礼儀正しい以外の良い所がなかなか見つけられなかったYくん。

それでも何とか彼の良い所を引き出そうと頑張り、最終的には日本出張にも連れてったYくん。

当方帰任後も、後任から全く評価されず、6年間で一度も昇格させてもらえなかったYくん。

彼との思い出はなかなか色褪せない。

最強の思い出と言えばやはりコレで、担当顧客における自社製品のシェアを確認させた所、仕事を寝かせまくった上で溜めに溜めて

我が社のシェアは140%ですサー!!

と力強すぎる回答をして来た事。

そんなYくんが。

良いヤツだけどポンコツ過ぎるYくんが。

なんと。

このたび。

競合他社に転職してしまった!しかもなんかポジション上がってるし!!

正直、どうでも良過ぎる情報だし、そもそもなんでそんな情報入って来るの?って感じなのだが、常に想像を上回るパフォーマンスを見せるYくんクラスになると、わざわざLINEで報告して来たのだ。マジ?

当方をリスペクトしている事は全くないだろうけど、まだ同じ会社で働いてる過去の上司に向かって、

ぼくちん、競合他社に転職したぴょん♡しかもポジション上がったぴょん♡

って連絡して来れるメンタルが全く理解出来ない。

恐らくだけど、あんたは昇格させてくれなかったけど転職したら昇格出来たぜこのクソが、みたいなメッセージ性は含まれておらず、単純に何も考えていないノーテンキ野郎なんじゃないか、とは思っているが、当方は天竺修行で菩薩の心を手に入れているので、素直におめでとうと言って一切の連絡を断つだけで心は揺るがないのだ。

今の当方、インド時代の苦しかった思い出が脳内を渦巻いており、セピア色の写真がまた色鮮やかなものとして蘇って来ている。

あのストレスを思い出すと、且つ次回はもう単身赴任以外選択肢がないであろう事を考えると、また行きたいかと言われても光の速さで断りそうな気がする。別に言われてないけど。

現実を思い出させてくれたYくんにはやはり感謝なのだ。

出来れば、競合他社の人がこのブログを永遠に読まず、Yくんに全権委任した結果、buy1 get1 free的な売値破壊キャンペーンによるシェア140%を達成し、営業部門が瓦解してくれる事を祈る。

〜今日の教訓〜

オレもジョブホップしたい。

ドイツの競合他社、オレの事採用してくれないかな。

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