最近のヤングは人間出来過ぎじゃないかと感じる件

年が明けてからかなりの時間が経っていて今更感が尋常じゃないのだが、新年あけおめことよろなのだ。

律儀な当方は今年も100枚ほど年賀状を出したが、20人くらいの知り合いから返して貰えず、新年早々人間関係の清算を迫られている様で辛い。からい ではなく つらい。辛い。

年賀状を受け取っておいてシカト、喪中だったとしても寒中見舞いと言う形で返事が来ない と言うのはやはり嫌われているとしか思えないので、

二度と出さないよこのスカポンタン!

と先方には聞こえない様に裏で陰口を叩いてみる。

何名の方からは、

今年はコロナだから年賀状をやめたんだよね、ごめんね

ともっともらしい理由を付けた連絡を貰ったが、それがホントかウソかは置いておいて、こんな所にもくそったれコロナの影響があるのか、と思うとなかなか深い気持ちになる。コロナだからこそ年賀状出すんじゃねーの?とも感じるが已む無し。

で。

スポンサーリンク

先日、成人の日があった。

コロナのせいでかなりやる事が制限された状態で気の毒だなぁ、とか思いつつ20年くらい前の自分の成人式を思い返してみたが、当時は信じられないくらいパッパラパーだったと思う。学歴だけはそこそこ立派だけど、中身はクソ野郎で、世の中ナメ腐っていたとしか言い様がない。勘違いしてた、の方が正しい表現かもしれないが。

バイトさせりゃサボってデニーズでお茶してて、学校行きゃ教授とのネゴだけ一生懸命で肝心の授業は全く受けず、唯一真面目にやってたラグビーだって今考えればもっとやれただろう。

当時は出し切ったかな、とか思ってたが、120人くらいいる部員の中でAチームにちょっと食い込んだだけで満足していて、食い込んだ後の努力が間違いなく不足していたと思う。ちゃんと努力してたなら、もっとカラダもでかくなってたはずだ。(80kg程度でやってた)

ちなみにこれがMax体重の頃だと思う。大胸筋も上腕二頭筋もショボいが、これで満足してたのが現実。

そんな勘違い野郎だった当方も、20歳のタイミングでは川崎市の成人式に出席した。

世の中はナメてたけど、イキりまくる気はなかったので特に騒いだりもせず、7〜8年ぶりに会う小学校の同級生と写真を撮ったりしてフツーに成人式を終えた。

特にマスコミが来てた記憶もなく、インタビューなんかも受けてないのだが、もしインタビューされてたら何と答えてたのか。

マスコミ:成人おめでとうございます。今はどの様な気分ですか?

僕:そうっすねー、まだ実感ないのでわかりませんが、選挙権ももらえるし大人の仲間入りって感じですかねー。

マスコミ:どの様な成人になりたいと思いますか?

僕:うーん、大手に就職してちゃんとお金稼いで家族を養える様な大人になれればいいかなぁと思いますねー

こんな感じだろうか。下手したらこれよりもショボい回答をしたんじゃないか。

が、今の子達のインタビュー。恐れ入るとしか言い様がない。どの子も揃って『周囲への感謝』を口にしているし、その先は三者三様だが『自覚ある大人になりたい』とか『責任感のある大人になりたい』とか『両親へ恩返しをしたい』とかめちゃくちゃ立派な事を言っている。

当方が気になるのは特に『周囲への感謝』だが、最近この『感謝』ってのはマニュアル化されてるんだろうか?

新成人のインタビューのみならず、スポーツでのインタビューでもほぼ必ずみんな感謝と言うワードを織り込んで来る。

学校の授業で、

人と会話する際には必ず感謝と言う言葉を入れる様にしましょう

と教えられてるんじゃないかと思うくらいみんな言うワードだと思う。

もちろんこの『周囲への感謝』ってのは大切な事だと思うし、それ自体を否定するものではないんだけど、当方が『感謝』に気付いたのは結構な大人になってからだ。

最初に意識したのは社会人1年目の会社のラグビー部の試合の時。

大学の時は公式戦は秩父宮なり熊谷なりの立派な会場でやらせて貰い、会場にもかなりの人が応援しに来てくれていて、それが当たり前だと思っていた。(もちろん通常の練習試合は自前の土のグラウンドだったけど、それでもファンの方はかなり来てくれていた)

それが社会人二部リーグともなると、公式戦であってもクソみたいな草のグラウンドだし、応援に来てくれるのも数名単位。その時に初めて、当たり前だった事が当たり前じゃない事応援してくれている人の有難さを感じた。

親への感謝だって、本質的に腹落ちしたのは自分に子供が産まれてからだと思う。

それまでだって、母の日だの父の日だのと言ったイベントでは感謝の言葉は口にしていた様な気がするが、そもそも小っ恥ずかしさの方が上回っていたし、上っ面の感謝だったなぁ、と感じる。

そう考えると、今の子たちって、ナチュラルに周りのサポートに感謝する事が出来る素晴らしい子たちなんじゃね?と言う思いがムクムクと湧き上がって来る。なんてデキた子たちなの。

スポンサーリンク

感謝が出来ると言うのは、周りへの気遣いが出来る、の裏返しなんじゃないかと当方は思っている。

唐突にインドの話を挟むと、インドでは他者への気遣いが絶望的に欠けてる人がかなりの数いた。

お前、その行動を取る事によって俺がどう感じるか、1ミクロンも想像出来ないのね、このクソ野郎が!

と何度思った事か。

ただ、不思議な事にインド人同士でそのレベルのコミュニケーションが続いても問題なく成り立っている。

この謎な事象に対する当方の理解は、

インドでは、人間は他人に迷惑を掛けるのが当たり前。だから他人が自分に迷惑のかかる行為をしたとしても許容出来る。

みたいな事だ。

間違ってたらどなたか指摘して頂きたい。(一応言っておくけど、インドにも良いヤツはたくさんいたからね)

これを先ほどの日本のヤングに当てはめると、

日本の若者は周囲への感謝の気持ちと気遣いを持っているのが当たり前。だから感謝と気遣いのループで善行が積み重なっていく。

になったりしないだろうか。

周囲への感謝と気遣いがスタンダードになると、他者に対して見返りを期待しない無償の善行が多くなる、と言う考え方なのだが、インドはこれとは真逆の状態だから、他者に対して見返りを期待しない無償の善行なんて基本的に起きてないでしょ、ってなロジックだ。(しつこいけどゼロとは言っていない)

このロジックを更に展開していくと、今のヤングたちが社会に出てどんどん力を着けて行けば、日本は確実に良くなるじゃないか!今のうちにもう政界に送り込もう!とか思ってしまう。

とは言え、現実問題として昨今は感謝と気遣いの無限ループがネガティブな方向に向かっていて、どっちかっつーと感謝と気遣いの強要の方が世の中の空気を占めてる気がする。

感謝が世の中に溢れすぎていて、感謝がスタンダード=必ずやらなければならない事みたいな空気感になってしまった結果、自分の行為が感謝されないと怒り狂うオジサンオバサンが多い気がするのは当方だけだろうか。

実際、年賀状が返って来ない事で憤怒している時点で、当方も自分の行為に見返りを期待しているダメ人間だし、そんな人が世の中で幅を利かせてちゃいかん、って事なんだろう。

やっぱり隠居します・・・みんな今までありがとう・・・

〜今日の教訓〜

次回重大発表!

かも?

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする