インド人に『慮る』と言う言葉を教えてあげたい件

慮るーおもんぱかる。オモンパカル。なんか、アルパカみたいだ。

今日は、この『慮る』と言う要素を、インド人がどの程度持っているかについて考えてみたい。

スポンサーリンク

慮る=思いやり

大辞泉によると、

おもいはかる の音変化。

おもんばかる とも読む。

周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす。

とある。なるほど。

まぁ、平たく言えば、思いやりに近いだろう。自分がこの発言をしたら相手はどう思うかな?とかだ。

この『自分の発言を相手がどう思うか』については、絶望的に欠落してるヤツがインド人には結構いる。

多少、どころの騒ぎではない。絶望的なのだ。つまり900%の確率で好転しないレベル。

いつも通り、実際の出来事として、『ケーススタディ;ドライバーロビン君のケース』でみんなで勉強してみよう。

スポンサーリンク

予想通りロビン君はキワモノ

まずは、ロビン君のスペックから。

男性・そこそこ若い・けど年齢知らない

当方の初めてのインド出張の時に空港に迎えに来てたヤツ

英語は全然ダメ

ダメなくせに、すぐイエッサー!と安請け合いをする

社有車の鍵をなくしてHRにブチ切れられた経験あり

しかも再犯して弁償させられてた

寝坊を良くする

これだけで、かなりのキワモノである事は見て取れる。

スポンサーリンク

ある日いきなり会社に戻って来なくなる

そのロビン君、ディワリ休暇だか何かで実家に帰った後、会社に戻って来なくなった。

曰く、

お母さんにもうチェンナイに戻るなって言われました

との事。

いやいや。ガキじゃないんだからさ。

と思うのが普通の日本人の感覚だけど、インド人的にはこの手の

『パパやママにダメって言われたっちゃ』

と言う現象の重大性はかなりのものらしい。

普段は

ベジタリアンですサー

って言ってるヤツが、日本に出張に行くといきなり肉オッケーになって、なんでだよ、って聞くと、

ここではお父さんが見てないから良いサー

と大真面目に答える事もあるくらい。

それだけ、親を尊敬或いは畏怖の対象として見ている、もしくは、家族間の繋がりが強固、と言う事なんだろうな、と理解している。

スポンサーリンク

戻って来たと思ったらあっさり退職

話がそれたが、ママンの鶴の一声によって、チェンナイに戻って来なくなってしまったロビン君。

そりゃあかんだろ、って事で、HRの人間がロビン君の奥さんにコンタクト、何とか説得せい、と交渉を続ける。

結果、一応チェンナイには戻って来た。

が、相変わらずコミュニケーションは取れないし、寝坊もする。

クソ野郎だな、と思っていたら、

お母さんの言う事聞いてやっぱり会社辞めますサー

との事。

あっそう、と言う事で特に反応も引き止めもせず、そのまま退社。

すると後日WhatsApp(インドにおけるLINEみたいなの)でメッセージ。

ハウアーユータマさん!いすゞで今働いてます!

はぁ?

ちょっと前に、お母さんがどうとか言ってたのは何だったんだ?自分で言った事忘れたのか?それともその時のお前は死んだのか?お前は違うロビンなのか?正体を明かせ!今すぐその化けの皮を自ら剝げ!このハゲ!(毛はあった)

もう意味がわからないが、真相はどうでも良い。

ただ一つ言えるのは、

『こいつは俺がどう思ってるかと想像出来てない』

と言う事。

この部分をもう少し掘り下げて考えてみよう。

スポンサーリンク

ここからはノンストップで行くので要注意

今回はロビン君を例に挙げたが、こんなの、他に例を挙げろと言われたら講演会が出来る。

結構揉めて退職したヤツが、翌月になって、結婚式来ませんか?と言って来たり。

インドにはそう言うヤツが多い=そう言うヤツだけで構成される集団が存在するケースがある=そう言うヤツだけでコミュニケーションを取るケースがある

となるワケだ。

『そう言うヤツ』と言う表現自体が鬱陶しいのと、頻出する事になってタイピングが面倒なので、総称として、『ロビン』と言う言葉を代用する。

ロビンが集まる事によって、ロビン達の中でのロビン同士のコミュニケーションは加速度的に増えて行く事になる。

コミュニケーションの方向は、 nCrの式を使ってウルトラ複雑な方法で求めて行かなくてはならない。たぶん。

ロビン=5の時のコミュニケーションは75方向あるので、ロビン=2の時即ち双方向しかない場合に比べて、なんと37.5倍にもなる。

なお、当方とロビンしかいない場合、つまりロビン=1の場合は1C1なので1通りなのだが、このケースにおいてはそもそもコミュニケーションも成立しない状況の為、特例としてゼロを解とする。

つまり、ロビンがいればいるほど、コミュニケーションの方向は増える。それ自体は良い。

問題はそのコミュニケーションの中に、今回問題視している様な『相手の事を全くアルパカらない発言』が内包される事だ。

恐らく、と言うかほぼ確実にそんな発言は頻発する。

もし当方がそのループの中に放り込まれたら、いくら当方が菩薩の心を手に入れかかっているとは言え、その瞬間、菩薩から千手観音へ変化(へんげ)し、更に阿修羅を憑依させ、千本の手をフル活用して殴打し続けてしまう事は明白だ。

でも、インド人が千手観音featuring阿修羅になっているシーンは見た事はない。

と言う事は、インド人は、菩薩に菩薩が憑依した、菩薩with菩薩なんだろうか。

しかし、この仮説が正しいとしたら、当方の周りには菩薩ばかりが存在する事となり、こんなにストレスはたまらないハズだ。

菩薩;この価格でお客さんに提出したいと思います!

僕;前回の価格からの差異は?

菩薩;前任者が出したものなのでわかりません!

僕;ウソつくな。ここのフォルダに保存してあるだろ。

菩薩;忘れてました!これを参考にしてロジック作りました!

僕;だからウソつくなって。こことここ、矛盾してるだろ。

菩薩;OKサー!

僕;OKじゃねーよ、ソーリーだろ、クソが!!!

よってこの説は絶望的に間違っている。

やはり、ロビンは菩薩でも何でもない。ロビンは自分が何言っても相手は傷つかないと思っている=自分も相手に何を言われても傷つかない、と言う特性を持った、結局はただのロビンであり、ロビン以上でもロビン以下でもないのだ、としか言い様がない。

だから、ロビンAがロビンBに対して、我々の感覚からしたら『お前それはなくね?』と言う感じの話をしても、ロビンBは何も感じない。むしろ笑っている。菩薩かと思ってしまう。

ロビンBが約束を破ったロビンCに対して文句を言っても、ロビンCは何も感じない。何も感じず、同じ過ちを繰り返し続ける。第三者であってもイライラする。

ロビンCは最終的に当方に激ギレされるが、それでも同じ事をリピート発注する。クビにしたい。

そう、ロビンは相手を傷つけるけど自らは傷つかないのだ。最強過ぎる。

いわば、やみのころもをまとったゾーマの様だ。

ゾーマを倒す為には、ひかりのたまを持っておく必要があるので、すぐに全員スキンヘッドにし、頭皮にローションを塗りたくって、光らせながらロビン即ちゾーマを威圧する様にしよう。

当方も、娘から

パパ坊主やめて。

と言われて最近は髪を伸ばしていたが、そろそろこんな感じに戻ろうかと思う。

~今日の教訓~

インドではゾーマに囲まれる事になって大変。

なんのこっちゃ。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. […] これが私も言いたかったんだゼェ〜 って記事があったのでリンク貼る インド人に『慮る』と言う言葉を教えてあげたい件 とにかく、風邪でボンヤリしてるから 新しく自力で記事書けないので […]