スーパーラグビーとインドでの経験から考える親子のパンチャー要素遺伝について

ご存知の通り、ニュージーランドでスーパーラグビーアオテアロアが開幕した。

開幕週の先週末は、ダニーデンでハイランダーズvsチーフス、オークランドでブルーズvsハリケーンズの2試合がセットされた。(クルセーダーズはbye week)

内容はどちらの試合も破格に面白く、ラグビーがある週末の嬉しさ、そしてそのラグビーを観客ありの状態で開催出来るニュージーランドへの羨ましさをしみじみと感じた。

その2試合で目立ったのが、二世選手の活躍。二世、と言うのは、当方が現役の頃に選手だったプレーヤーの息子がデビューしている、と言う意味。

昨日の試合でも、

  • ブルーズ:No8ソトゥトゥ(元ヤマハのワイサケソトゥトゥ)、WTBクラーク(元リコーのエロニクラーク)
  • ハリケーンズ:SOバショップ(元サモア代表スティーブンバショップ、ジャパンでもプレーしたグレアムバショップの甥っ子)

と言った塩梅で、馴染みのある名前があった。

ソトゥトゥパパは昔YCACセブンスに出てて、当方の同期のヤツが後ろからタックルしに行って、止まった!と思ったら鬼ハンドオフで逆に吹っ飛ばされててドン引きした記憶がある。

そんなこんなで、ラグビーが観れる様になった嬉しさと二世選手が活躍している事の感慨深さを感じながら過ごした週末だったのだが、二世選手の活躍から感じるのが、

親がパンチャーなら子もパンチャーだな

と言う事。

先ほど書いたパパソトゥトゥは完全なパンチャーだったが、子ソトゥトゥも相当なパンチャーだ。

YouTubeをあさってみたが、大した動画がなかったので、とりあえず写真だけ。

引用:こちらから

今は普通の髪型してるが、昔はノヌーみたいな見た目だったのね。

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これだけ二世選手が活躍してるのを見ると、ラグビーにおいては、結構な確率でこのパンチャー遺伝説は当てはまるのではないか、と思う。

そこで思い当たるのが、

  • 結局実生活でもそうなんじゃないのか
  • チェンナイにも親子でパンチャーってのが結構いたな

と言う事。

インドってのは、送り込む会社側から見ても、生命力のありそうなソルジャー要素を持った人間が適任と見ている感があり、チェンナイにおける最たる例がヤマハ。

以前、こちらのエントリでインドのモーターショーの話と共に超高級素材の紹介をしたが、その中にヤマハの会長のインタビューのリンクも入れてみたので、宜しければどうぞ。

チェンナイのヤマハにはラグビーの元トップリーガーが3名もいたし、彼らが完全なソルジャーである事はファイヤーをウォッチするよりもオブビアスである。

そんな感じで、サバイバル要素の強い人間が良く送り込まれる土地柄の為、赴任者の中にはとんがりまくっている人も含まれている、と言うのは何となくご想像頂けると思う。良い意味でも悪い意味でも。

なお、そんな事を言っている当方がとんがってるのかどうか、或いはパンチャーなのかどうか、と言う議論に関しては横に置いておきたい。

で。

当方が見た限り、ではあるが、チェンナイにおいては、

  • 親がパンチャーでも子供が必ずパンチャーなワケではない
  • でも子供がパンチャーなら親もどっちかは絶対にパンチャー

この事象は、まるで数学の公式かの様に存在していた。

例えば、マウンティングして来る子供は親も一緒にマウンティングして来てるよね、みたいなもの。

マウンティングされても、はぁそうですか、、って事で特に何も感じないんだけど、そう言う人は何かコンプレックスでもあるのかしら・・・コンプレックスがあるから『人生誰にも負けられない!』みたいに思ってマウンティングして来るのかしら・・・とか感じる。

Wikiによると、本来のコンプレックスの定義は、

心理学・精神医学用語で、衝動・欲求・観念・記憶等の様々な心理的構成要素が無意識に複雑に絡み合って形成された観念の複合体

らしく、アルフレッド・アドラーがコンプレックスの理論の中で中心においた『劣等複合(inferiority complex)』が日本で独り歩きして、日本ではコンプレックス=劣等感になった、と言う背景があるらしい。へーーー

それは余談だが、その劣等感ってのは人間誰だってあるんだろうと思う。

かく言う当方だって、ジャニーズ系かジャニーズ系じゃないかと言われると惜しくもジャニーズ系には分類出来ない顔面偏差値だし、なかなかの進学校に通い、周りは東大だの医者だのと言ってる中で東大も医学部も受験すら出来なかったし、ラグビーでも180cm超がスタンダードのフォワードの中で172cmしかないからひたすら低いプレーに徹するしかなかった結果ついたあだ名はゴキブリだし、商社だ金融だと一流企業に就職しまくった大学ラグビー部の同期の中でも当方は気合の製造業でしかもシングルインカムだから世帯年収はたぶんほぼビリだし、他人に劣っている部分を探せば死ぬ程出て来る。

ただ、住むところもあってメシも3食しっかり食べられて間違いなくハッピーな人生を送っているし、他人に対してマウントを取る必要性を全く感じない。そもそもマウント取れる様な要素あんまないし。

それを逆説的に捉えると、前述のマウンティング親子は住むところもないしメシもちゃんと食べられない様な不幸な人って事になってしまうが、まぁ、衣食住は問題ないんだろうから、心が貧乏って事になるんだろう。そう考えると急にかわいそうになって来た。

心が貧乏な人は、普段の生活でもそう言う部分が垣間見えるから、親のそんな姿を見てると子供もそっち寄りになっちゃうんだろうな・・・とも感じる。

なんか悪口みたいになってしまったが、この

今自分のいる立ち位置が幸せであると思える

ってのは結構大事なんだと思う。

これは恐らくだが、最近流行りの自己肯定感ってのと近いんじゃないか。

自己肯定感ってのは子供のうちからしっかり育んでおかないといけないんだろうな・・・とは思うのだが、我が身を省みると、

勉強を教えながら、前も言っただろこのスカポンタン!!と絶叫している事が良くある

ので、長女の心は深く傷ついている可能性がある。実に申し訳ない。

そんな彼女も、遂に模試で志望校を書く事になった。

学校見学も何もない現段階では志望校もクソもないのだが、とりあえず何か書かなければならないので、塾からもらった学校一覧を一緒に見ていたら、

お茶の水ってなに?お茶と水ずっと飲む学校?

とかなりヤバめのコメントを繰り出していた。

その他、栄東を『えいとう』、浦和明の星は『うらわめいのほし』、そして女子校の頂点桜蔭については『さくらもも?』とホザいていたので、自己肯定感なんか1億年早いのかもしれない。

最悪、学校名が読めなくても、他者に対してマウンティングする様な事がない女子に育てていきたいと思う。

いや、学校名読めないのもヤバいな。。。

〜今日の教訓〜

映像の世紀ずっと見とけ。

あれ見たらマジで自分がどんだけ幸せか痛感するよね。

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