何度か触れている様に、当方のルーツはゴリゴリの百姓だ。
母方の母方の家が毛利の家の家老だった、とか聞いてはいるが、その名残りは全くないので、ルーツが百姓だ、と断言してもどこも間違っていない。
基本的に、一部の豪農を除いて、農家は昔から貧乏だった。
子供も完全に労働力としてカウントされていたし、戦時中生まれの親父から聞いているエピソードを聞いても、なかなか壮絶だ。
今でこそ、トラクターだの田植え機だのコンバインだの、と便利な機械があるが、昔はそれが全て手作業だった事はご想像頂けるかと思う。
なので、労働力はいくらあっても足りないし、朝から晩まで、それこそ嫁さんは盆暮れも実家にも帰して貰えず働き詰め、と言うのがある意味スタンダードだったとも言える。
但し、先ほど書いた『貧乏』は、現金があんまりない、と言う意味で、土地持ちの米農家であれば米はある。
当方の実家なんかは、年間で1人1俵くらい備蓄しとけば良いな、って事でそれ以外は売ってたみたいだが、例えば親父が他所の家に遊びに行く時の手土産は米だったりしたらしい。米を現金同等物として扱っていた部分もあるんだろうな、と思っている。
だから、お金が大事なのは言うまでもないが、米もそれと同じくらい大事、と言う感覚なんだろう。
当方も、小さい頃は両親から
米を一粒残すと目玉が潰れるぞ!
等と言った恫喝を受けながら育った。
先ほど、母方は農家ではない、と書いたが、母方の祖父は海上保安大学?の校長とかをやってた様な人らしく、貧乏な家ではなかった様だ。
ただ、その米粒を残すとか食事中の行儀とかで一番厳しかったのはこの祖父で、一度ぶん殴られた記憶がある。
かなり朧げではあるが、
ご飯を有り難く頂かないとは何事だ!
みたいな感じだった様な気がする。覚えてるのが一度だけで、ひょっとしたらもっとやられてたのかもしれない。
想像ではあるが、太平洋戦争にもゴリゴリに関わっていた人なので、食事の有り難みが骨身に沁みていたんだろう。
幼い頃の教育と言うか洗脳と言うか、そう言うのは大きくなってからも有効なんだろうな、と感じるのだが、そのせいもあって、当方はレストランとかで自分で頼んだモノを気安く残すヤツが大嫌いだ。
お前が後先考えずに頼んで食べずに捨てるその食糧があれば何人の人間が生き永らえると思ってんだ、そもそもそれを作った人に申し訳ないと思わないのか、と常に感じている。
が、農耕民族の典型例みたいなチキンなので何も言わない。何も言わずに、その人を
知り合いだった人
と言うカテゴリーに葬り去る事にしている。陰湿としか言い様がないが已む無し。
まぁ、そうは言っても、レストランとかで想定外の量のメシが出て来てしまう事は時々あって、そんな時は限界近くまで食べてごめんなさいをするしかないが、やっぱり食べ物を粗末にするのは良くない。これは誰が何と言おうと良くない。
と、ここまでが前置き。長い。
昨年、ラグビーW杯で世間が激烈に盛り上がっていた頃、殿下牧場から米を強奪して来た。
こんな感じで、玄米を30kg×3袋、それをコイン精米機で精米して頂きます、だった。
が、毎日在宅で米を食べていたらさすがに在庫が尽きて来たので、牧場長が米を分け与えてくれた。
こちらがその戦果。
正確には計ってないが、まぁ全部で25kg〜30kgくらいだと思う。
なのだが・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・
大袋からジップロックに移し替えるこの作業をする時に・・・・
・・・・
・・・
・・
・
神様、ごめんなさい。ホントに。
だいたい、5合分くらいだろうか。もうちょいあるかもしれないが、袋が破れて逃げ出してしまった。
地面に接地してない部分は拾えば良いんじゃないか、と思ったが、泣く泣く廃棄。
先ほど、食糧を無駄にするヤツは許さん、と鼻息荒くイキっていたが、ここは都合良く、我が父が言っていた、
まぁ、うちは貧乏だったけど米は掃いて捨てるくらいあったからな、ワハハ
と言う言葉を超絶曲解して、
親父も掃いて捨ててたんだし・・・・
と自分を慰めている。
ホントゴメンナサイ。
みなさん、食べ物は大事にしましょう。
〜今日の教訓〜
殿下牧場はアスパラも美味い。
売り方改革したい。