たこ焼きパーリーから連想するチェンナイの良さについて書いてみる件

先日、友人宅でタコパなるものを行った。

所謂たこ焼きパーティーと言うヤツで、このワードが、非常にナウくてトレンディな響きを持つ事については異論はないだろう。

当たり前っちゃ当たり前なのだが、非常に楽しく、お互い子供がいたにも関わらず、23時頃までステイしてしまった。

当方がボキャ貧である事を差し引いても、楽しかった以上の感想が特に思い当たらなかったのだが、もう少し掘り下げて考えてみた時、

こんな事日本にいた時はしなかったな

と言う所にも思いが至った。

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友人宅に遊びに行く、或いはその逆で客人が我が家に来る事はしばしばあれど、子供達がキャーキャー言いながら大騒ぎしている横で、大人が集まってワインを飲んでいる、そしてその宴は23時頃まで続く、そんな事は経験した事がない。

近所迷惑、と言う事もあるが、子供は早く寝かさなくては、と言う点だったり、そもそも家に帰る道中の事を考えると、そんな遅くまで人の家に居座る事はまず考えられない。

同じマンションの友人宅、と言う事で、移動距離が超短距離で済むのであれば話は別だが、それでも近所迷惑と言う点は切り離せないだろう。

もっと言えば、俗に言う『家族ぐるみでの付き合い』と言うモノは当方は今まであまりして来なかった。

結婚した後も、

  • さいたま市2年3ヶ月
  • 名古屋市1年
  • 新宿区1年6か月
  • さいたま市2年2ヶ月
  • その後殿下インド赴任

と言った具合で、同じ所に長々と住んだ事がない。何なら、チェンナイが2年半で最長不倒だ。(厳密には、家族一緒であればまだ1年9ヵ月だけど)

そんな感じの引っ越し大好きファミリーだからかは不明だが、ママ友同士の付き合いはあっても、パパ友なんてモノは今までほぼ存在していなかった。日本の幼稚園や小学校のパパ友で、顔を覚えている人は、正直片手もいない。

そう考えると、実は、そもそも我が家(と言うか当方)が意外と閉鎖的な鎖国主義者だったりするのかもしれない。

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大学のラグビー部の同期ファミリーとは、ちょこちょこと定期的に会ったりする事はあれど、子供同士が同じ学校に通う、所謂ご近所コミュニティではそんな間柄の人はない。

その近場コミュニティでは、『家族ぐるみの付き合い』なんてモノをする事は考えた事もなかった。

お隣さんはお隣さん。子供の同級生は子供の同級生。以上。

もちろん挨拶はするし、会えば話もするけど、家族全員で家に上がり込んで、一緒にたこ焼きを作る様な間柄ではない。

そんな鎖国ファミリーだった我が家(と言うか、繰り返しになるけど当方)が、ここまで豹変した事には自分でも驚いているし、同時にこれがチェンナイの、ひいては海外赴任の良い所なんだろうなぁ、と思った。

田舎を思い浮かべて頂けるとわかりやすいかな、と思うのだが、村においてはその村人同士の敷居が低かったりするのは当たり前だと思う。

当方の親父側の実家は、長野で牧場をやっているのだが、当然家には鍵なんかかかってないし、隣人は勝手に扉を開けて居間まで入って来るし、葬式の時も周りの人達が総出でお手伝いをしてくれる。

所謂『村』はそんな感じだと理解しているが、言ってみれば、海外の赴任先でも『日本人村』が出来るワケで、その村人同士が仲良くなるのも必然かな、と感じるのだ。

そこに居心地の良さを感じるかどうかはその人次第だが、こう言う人間関係も良いなぁ、と純粋に感じた。

残念なのは、お互いがあと何ヶ月かすれば日本に帰ってしまう、と言う点。

日本に帰ると、住む所も通う学校も変わり、さすがに今の様に頻繁に会う事は減るだろうが、折角のご縁なので、日本に帰ってもそれなりの付き合いが出来ればな、とは思う。

同時に、どこに帰るかは不明だけど、そのエリアで、こう言った村付き合いをするのも悪くないのかな、とも思ったりもする。今までの日本での人間関係を考えるとちょっと想像出来ないけど。

〜今日の教訓〜

やっぱり日本には帰りたくない。

チェンナイ最高やで。

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